最初に結論を言います。
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』は、良作寄りです。
でも同時に、暗い・不親切・難しいと感じて「合わない」と切り捨てたくなるのも当然です。
私はこの映画を「理解できた」とは言えません。
それでも、観終わったあと席を立つのが少し遅れた。その理由だけは、ちゃんと残っている。
※本記事は一視聴者(みらくる)の感想考察です。特定の人物・制作陣を断罪する意図はありません。受け取り方には個人差があります。
この記事を読むとわかること
- 「難しくて把握できない」の正体(観客のせいではない理由)
- 暗さ・眠さが欠点であり、意味も持つこと
- 逆襲のシャアの戦闘リフレインが“サービス以上”に効く理由
- キルケーの魔女=ギギの役割(救いにならない理由)
- 声優演技が残す温度(小野賢章/上田麗奈ほか)
目次
結論:この映画は「分からせない」ことを選んでいる
この作品はとにかく優しくない。
説明はしない。整理もしない。「ここは分かりましたか?」なんて聞いてくれない。
だから「把握できない」が出る。これは自然です。
ただ私は途中で気づきました。不親切なのではなく、“観客を助けない”態度を選んでいる。
理解できないまま放り出される感覚。
それは、戦場にいる人間の距離感にかなり近い。
この時点で、合う/合わないが分かれます。
戦場が“かっこよくない”という異様さ
私はガンダムを観てきた世代ですが、この映画のモビルスーツは「胸が躍る」より先に、兵器としての怖さが来ました。
音、圧、視界の悪さ。
かっこよさより先に「怖い」が来る。
そのせいで、観客は安心できないし、気持ちよくもない。
でも、その不快さがあるからこそ、アニメなのに「現場」に近い感触が残ってしまう。
ここが、この作品の強さだと思っています。
暗い・見えない・眠いは欠点。それでも意味はある
はっきり言います。
暗い。見えにくい。集中力が削られる。
これは欠点です。
欠点として刺さるポイント
- 戦闘の輪郭が追えない
- 会話シーンまで暗くて“休めない”
- 理解の補助線が少ないのに、視界も奪われる
ただ、それでも私は「暗さに意味がない」とは言い切れません。
暗さは、観客の安全な神視点を奪い、判断できなさ=不安を共有させる。
だから疲れる。だから眠くなる人もいる。
でもその負荷があるから、戦場の“安全でなさ”が身体に残ってしまう。
評価が割れるのは、ここが理由です。
逆襲のシャア戦闘リフレインの役割|過去だけが鮮明になる残酷さ
途中、どうしても『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を想起させる戦闘イメージが頭をよぎる瞬間があります。
私はあれを、ファンサービスだとは思いません。
過去の鮮明さで、現在の暗さを確定させる残酷な対比だと思っています。
過去は鮮明だった。感情の衝突も、輪郭も、語れる熱もあった。
それに比べて今は、暗くて、重くて、誰も胸を張れない。
「もう英雄の時代じゃない」という現実を、観客の記憶で分からせてくる。
だから刺さる人には刺さるし、「旧作の力に頼っている」と感じる人が出るのも自然です。
ただ私は、あの不穏な効き方こそが、この映画の意地だと思っています。
ハサウェイは共感されない主人公で正しい
主人公のハサウェイ・ノアは、正直しんどい。
迷う。過去に縛られる。覚悟が決まらない。
観ていて苛立つ瞬間もある。
でも私は、好きになれなくていいと思いました。
この作品は「共感できる主人公」を用意していない。
居心地の悪い人間を、真正面に置くことで、この時代の重さを作っている。
キルケーの魔女とは何か|ギギは救いではなく“仮面を剥がす側”
副題の「キルケーの魔女」。
私はここに、いちばん救いがないと思っています。
ギギ・アンダルシアは、癒しでも救済でもない。
彼女は寄り添うのではなく、問いを投げる側にいる。
その問いは優しさではなく、暴力に近い。
だからロマンスにならない。
だからラストは美しいのに安らがない。
魔女とは、救う存在ではなく、人を変えてしまう存在。
そして変わったあとに、元の場所へ戻れなくする存在。
私はこの副題を、そう受け取りました。
両親(ブライト&ミライ)登場が「罪」を現実にする
本作では、ハサウェイの両親であるブライト・ノアとミライ・ノアが物語に関わることで、空気が一段重く感じられる。
孤独な人間は、ある意味で無敵になれる。
捨てるものがないからです。
でも「帰る場所」が存在した瞬間、無敵ではいられない。
知られたら終わる/戻れないが現実になる。
その重さが、ハサウェイの「罪」を思想から生活へ落とす。
私はここで、この物語が“戦争”ではなく、人間の後戻り不能の話になった気がしました。
声優演技の温度|小野賢章×上田麗奈が「救わなさ」を成立させる
主要キャスト(本記事で触れる範囲)
- ハサウェイ・ノア:小野賢章
- ギギ・アンダルシア:上田麗奈
- ブライト・ノア:成田剣
- ミライ・ノア:新井里美
小野賢章:叫ばないことで「消耗」を聴かせる
小野賢章さんのハサウェイは、ヒーローの熱で押し切らない。
声を張るより、息と間で「消耗」を聴かせる方向に寄っている。
だから観客は乗れない。
でもその乗れなさが、ハサウェイの“戻れなさ”を現実にする。
上田麗奈:寄り添わず「裁かない温度」を保つ
上田麗奈さんのギギは、優しさで包むより、温度を一定に保つ。
その一定さが「裁かない」を成立させる一方で、観客から救いを奪う。
だから、あの問いは癒しにならない。
仮面を剥がす側の声として響く。
成田剣×新井里美:家族が“生活の重さ”を持ち込む
両親の声は、戦場とは別の重さを運んできます。
それは正しさではなく、関係性の重さ。
この作品の「罪」を、現実の手触りに変える温度です。
FAQ|よくある疑問(検索意図対応)
難しくて把握できないけど、自分が悪い?
悪くありません。作品が「分からせる」より「現場の不安」を優先しているためです。分からないまま残る感情が、この映画の設計でもあります。
暗いのは演出?欠点?
両方です。リアル志向としての意味はある一方で、視認性を犠牲にして「眠い」「退屈」に繋がる欠点にもなっています。
逆襲のシャアを観てないとダメ?
必須ではありません。ただ、過去が鮮明に立ち上がる“残酷な対比”が効くため、知っているほど刺さり方が変わるのは確かです。
キルケーの魔女って結局なに?
救いではなく「仮面を剥がす側」です。癒す魔女ではなく、変えてしまい戻れなくする側。私はそう受け取りました。
この記事のまとめ
- 本作は「分からせない」ことで、戦場の不安を共有させる
- 戦闘はかっこよさより“怖さ”が先に来る
- 暗さは欠点だが、意味としても機能している
- 逆襲のシャアのリフレインは“過去だけ鮮明”にする残酷な対比
- ギギ=キルケーの魔女は救いではなく、仮面を剥がす側
- 声優(小野賢章/上田麗奈ほか)の温度が「救わなさ」を成立させる


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