『さよならララ』の90年代風作画は、太い輪郭線、高彩度の色、セル画を部分的に用いたOP演出が大きな特徴です。
ただ昔のアニメを再現したのではなく、キネマシトラスが現代の制作技術とアナログ的な質感を組み合わせ、作品の物語に合う映像として組み直している点に魅力があります。
『さよならララ』の作画はなぜ90年代アニメのように見える?
『さよならララ』を見て、最初に「昔のアニメみたい」と感じた人は少なくないでしょう。
その印象を生んでいる大きな要素が、存在感のある輪郭線と、はっきりした色彩です。
近年のアニメでは、細い線や淡い色を用い、光や撮影処理によって柔らかな空気感を出す作品も多く見られます。
それに対して『さよならララ』では、キャラクターの輪郭が画面の中ではっきりと見えます。色も淡く溶け込ませるというより、それぞれの色そのものに力を持たせたような印象があります。
そのため、セルアニメを見慣れてきた世代には、1990年代以前の作品を思い出させるのです。
ただし、ここで注意したいのは、「90年代のアニメをそのまま再現する」という発想だけから生まれた絵ではないという点です。
小出卓史監督は本作のビジュアルについて、近年よく見られる細い線や薄い色とは異なる方向を目指した結果、過去のアニメーションを思わせる表現へ近づいていった趣旨を語っています。
つまり、順番が逆なのです。
「昔のアニメっぽくしよう」と考えて線を太くしたのではなく、キャラクターや物語に必要な力強さを追求した結果として、アナログ制作時代を思わせるルックへたどり着いたと考える方が、本作の特徴を理解しやすいでしょう。
私は、この違いこそ『さよならララ』を見るうえで大切だと思っています。
単純なレトロ作品であれば、懐かしい色や古い画面比率、フィルム風のノイズなどを表面的に足す方法もあります。
しかし『さよならララ』が目指しているのは、そうした「昔っぽさの記号」を並べることではありません。
ララという少女を、どんな線で描けば最も生命力を感じられるのか。
その答えとして現在のキャラクターデザインや色彩が選ばれているように見えるのです。
だからこそ画面には懐かしさがありながら、作品全体まで古く感じるわけではありません。
撮影、美術、デザインなどの土台は現代のアニメ制作です。その上に、過去のアニメが持っていた線と色の強さを持ち込んでいます。
言い換えれば、『さよならララ』の作画は「90年代アニメの復元」というより、過去の表現を現代の映像文法でもう一度使い直したものと見ることができます。
この「古いのに新しい」という矛盾こそ、画面を一度見ただけで印象に残りやすい理由なのでしょう。
『さよならララ』のキャラデザは何が違う?谷紫織が支える強い輪郭線
『さよならララ』でキャラクターデザインを担当しているのは谷紫織さんです。
本作のキャラクターを見ると、単に「かわいい」「レトロ」という言葉だけでは説明しきれない力があります。
特に象徴的なのがララです。
ララは『人魚姫』をモチーフとする存在で、かつて恋に敗れ、泡となって消えた人魚姫が長い年月を経て再び人間の世界へ現れるという設定を背負っています。
舞台となるのは現代の滋賀県・大津周辺と琵琶湖です。
ララを演じるのは菱川花菜さん。
そして現代側でララと関わる大津茉里は、滋賀県大津市で暮らす女子高校生で、ボクシングに打ち込んでいる人物として描かれます。茉里を演じるのは川石奈奈さんです。
人魚姫という幻想的な存在と、ボクシングをする現代の女子高校生。
文字だけで見ると、かなり異質な組み合わせです。
それでも二人が同じ画面に収まったときに世界観が分裂して見えにくいのは、キャラクターデザイン、美術、色彩設計が共通する方向を向いているからでしょう。
私は特に、ララの表情が大きく変化した場面に注目したくなります。
輪郭線がある程度しっかりしているため、表情を大胆に動かしてもキャラクターの存在感が失われにくいのです。
この特徴は、ララ自身の物語とも重なります。
彼女は一度、愛のために人生を懸け、そこで終わったはずの人物です。
ところが長い年月を経て、再び新しい人生を始めます。
儚い人魚姫ではありますが、本作のララは「今にも消えてしまいそうな少女」として描かれるだけの存在ではありません。
もう一度恋をしようとする。
もう一度世界へ飛び込もうとする。
そこにはかなり強い生命力があります。
小出監督が作品について「タフさ」を意識していることも、この画面作りを考える手掛かりになります。
隣にいる茉里がボクシングをしていることも象徴的です。
リングでは、打たれないことより、打たれてからどう立つかが重要になる瞬間があります。
一方のララも、一度人生そのものを失ったところから再び立ち上がる少女です。
二人に共通するのは、傷つかない強さではなく、傷ついても前へ進もうとする強さなのではないでしょうか。
そう考えると、『さよならララ』の太い線は単なる90年代風ファッションには見えなくなってきます。
キャラクターの内側にある「折れそうで折れない力」を、視覚的な輪郭として与えているようにも感じられるからです。
これは私なりの解釈ですが、キャラクターの生き方と絵柄が同じ方向を向いているからこそ、本作のデザインには表面的な懐古を超えた説得力が生まれているのでしょう。
キネマシトラスはなぜ『さよならララ』のOPでセル画を使った?
『さよならララ』の映像表現を語るうえで、特に注目したいのがオープニングです。
制作に関する紹介では、オープニングアニメーションの一部で実際のセル画を用いたカットが制作されたことが明かされています。
ここで誤解しないようにしたいのは、『さよならララ』全編が昔と同じセルアニメ方式で作られているわけではないということです。
現在のアニメ制作はデジタル工程が中心です。
セル画時代には、透明なセル素材へ絵の具で色を塗り、背景などと組み合わせて撮影する工程が用いられていました。
その後、日本の商業アニメ制作ではデジタル彩色・デジタル撮影への移行が進み、現在ではセル画を通常工程として大量に使用する作品は一般的ではありません。
デジタル制作には、修正や管理を行いやすいことをはじめ、多くの利点があります。
その状況で、あえて『さよならララ』が一部にセル画を取り入れたことには意味があります。
セル画は「古いから良い」のではありません。
重要なのは、デジタルとは異なる物理的な素材を通したことで生まれる、色や光の質感を表現の一部として利用できることです。
一方で、現代のデジタル撮影にも大きな表現力があります。
『さよならララ』は、アナログとデジタルのどちらが優れているかという単純な対立を見せている作品ではありません。
必要な部分では古い技法を使い、それを現代の制作環境へ組み込む。
そこが面白いのです。
私はこの考え方を、フィルムカメラに少し似ていると感じます。
スマートフォンやデジタルカメラで高精細な写真を撮れる時代になったからといって、フィルム写真が完全に意味を失ったわけではありません。
むしろデジタルが標準になったことで、「なぜフィルムを選ぶのか」が以前より明確な表現上の選択になります。
セル画についても同じことが言えるでしょう。
セル画しか存在しなかった時代には、それは技法というより日常的な制作手段でした。
しかし2026年の制作環境でセル画を使えば、それ自体が意図を伴う選択になります。
そして『さよならララ』では、作品全体が太い線や強い色を基調としているため、セル画を部分的に取り入れることが孤立した仕掛けになっていません。
キャラクターデザイン、色彩、撮影の方向性とつながっているからです。
ここで「神作画」という言葉についても少し考えてみたいと思います。
アニメファンの間で「神作画」と言うと、激しく動く戦闘シーンや、非常に細かな芝居を思い浮かべることが多いかもしれません。
もちろん、それも作画の大きな魅力です。
ただ、『さよならララ』の面白さは動画枚数の多さだけでは測れません。
どんな線を使うのか。
どんな色を置くのか。
どこまで昔の質感を残すのか。
どこから現代の撮影技術を使うのか。
そうした映像全体の設計そのものが見どころになっています。
静止した一枚を見ただけでも「この作品だ」と分かる画面を作ることも、アニメーションにおける大切な技術なのだと改めて感じさせられます。
『さよならララ』の作画を支えるスタッフと制作の背景は?
『さよならララ』は、キネマシトラスが手掛けるオリジナルアニメーション作品です。
監督は小出卓史さん、シリーズ構成は川原杏奈さん、キャラクターデザインは谷紫織さんが担当しています。
映像面では、美術監督の藤野真里さん、色彩設計の相澤里佳さん、撮影監督の出水田和人さんらが参加しています。
さらにグラフィックデザインを濱祐斗さんと山口真生さん、深海イメージをMONさん、ウォーターアーティストを吉邉尚希さんが担当しています。
このスタッフ構成を見ると、本作が「キャラクターの絵柄だけをレトロ風にした作品」ではないことが見えてきます。
特に気になるのは、水を扱う専門的な役割が置かれていることです。
『さよならララ』では、人魚姫と琵琶湖が物語の中心にあります。
そのため水は、単に画面をきれいに見せる背景素材ではありません。
ララがいた世界を連想させるものでもあり、現代の大津へ彼女をつなぐものでもあります。
水面、水中、光、深さ。
それぞれの見え方によって、同じ「水」でも感情は大きく変わります。
静かな湖なら穏やかさを感じますし、暗い水中なら人間の世界とは異なる場所にいる感覚が生まれます。
そこへキャラクターの線、色彩、美術、撮影が重なって初めて、『さよならララ』特有の画面になります。
また、本作は短期間に表面的なアイデアだけで組み上げられた企画ではありません。
現在の記事制作時点で紹介されている制作経緯では、企画が2021年夏ごろから動き始め、小出監督のオリジナル作品を作りたいという思いも重なりながら形になっていったことが語られています。
シリーズ構成の川原杏奈さんが参加してからは、脚本について非常に多くの打ち合わせが重ねられ、脚本会議が160回以上に及んだことも紹介されています。
この数字はかなり印象的です。
一度決めた設定に沿って機械的に脚本を書いたのではなく、登場人物や物語の方向性について長期間考え続けたことがうかがえます。
また、完成稿に至る前の段階で第1話の絵コンテを作り、映像として作品像を共有しようとした時期もあったとされています。
最終的な第1話が初期の構想そのままという意味ではありません。
むしろ重要なのは、脚本が完全に固まるまで絵を待つのではなく、物語から絵へ、絵から再び物語へと往復しながら作品を作っていたことです。
これは現在の作画を考えるうえでも重要です。
『さよならララ』の90年代風ルックは、完成した物語へ最後に貼り付けられたフィルターではありません。
企画、キャラクター、舞台、テーマと映像表現を行き来した末に出来上がったものだと考えられます。
私はここに、本作の画面が強い理由があると思っています。
見た目だけをレトロにすることはできます。
しかし物語の芯と映像の方向が一致していなければ、数話見たところで「昔風の絵柄」という第一印象は薄れてしまうでしょう。
『さよならララ』の場合は、ララの人生そのものが「過去を抱えたまま現代へ来る物語」です。
だから過去のアニメーションを連想させる画面が、単なる飾り以上の意味を持っています。
なぜ琵琶湖が舞台?『さよならララ』のレトロな作画との関係
『さよならララ』は、人魚姫という世界的に知られた物語をモチーフにしながら、滋賀県大津市と琵琶湖を舞台に据えています。
小出卓史監督は滋賀県大津市出身です。
制作背景では、広く知られている普遍的なモチーフと、自分にとって身近で個人的な場所を結び付ける発想が作品の成り立ちに関係していることが語られています。
人魚姫と聞けば、多くの人は海を想像するでしょう。
ところが『さよならララ』が選んだのは琵琶湖です。
この少し意外な組み合わせによって、本作は既存の『人魚姫』像から距離を取りながら、独自の世界を作ることができます。
私は、この琵琶湖という場所と90年代以前のセルアニメを思わせるルックの組み合わせが、とても興味深いと感じています。
現代の大津を描いているはずなのに、画面にはどこか「記憶の中の夏」のような感触があるからです。
もちろん、大津そのものが昔の街だという意味ではありません。
むしろ現代の街を描きながら、色と線の質感によって視聴者の記憶に触れてくるのです。
人は、実際には経験していない時代の映像にも懐かしさを感じることがあります。
古い写真、フィルム映像、昔のアニメなど、特定の表現形式そのものが「過去」を連想させる記号になるからです。
『さよならララ』では、この性質がララ自身と不思議なほど噛み合っています。
ララは長い時間を越えて現代へやって来た人物です。
彼女にとって2026年の世界は新しい。
しかし本人の内側には、過去の記憶が残っています。
新しい世界を見ているのに、本人は過去を背負っている。
『さよならララ』の画面も同じです。
現代のデジタル制作によって作られた新しいアニメでありながら、線や色には過去のセルアニメを思わせる感触があります。
この二重構造によって、視聴者もララと少し似た感覚で現代の琵琶湖を見ることになるのではないでしょうか。
新しいのに、どこか懐かしい。
知らない景色なのに、以前どこかで見たような気がする。
私は、本作のレトロな作画には「時代設定を説明する」以上の役割があると考えています。
それは、時間を越えて生き直すララの感覚を、画面の質感によって視聴者へ渡すことです。
この視点で見ると、琵琶湖も単なる舞台背景ではなくなります。
ララの過去と現在、人魚の世界と人間の世界、古典と現代をつなぐ境界として見えてきます。
『さよならララ』の90年代風作画は今後のアニメ表現に何を示す?
ここからは私見です。
私は『さよならララ』の作画を、「90年代風が流行しているから採用されたデザイン」とだけ理解するのは少しもったいないと思っています。
より重要なのは、デジタル制作が成熟した今だからこそ、過去の技法を表現として選び直せるようになったことではないでしょうか。
かつてセル画が標準だった時代に、セルを使うこと自体へ特別な意味はありませんでした。
それしか方法がなかったわけではありませんが、少なくとも現在ほど「セル画を選択すること」自体が珍しい時代ではありません。
ところが現在は、デジタル彩色や撮影が一般的です。
だからこそ一部にセル画を持ち込めば、「なぜここでセルなのか」という問いが生まれます。
古い技法が、新しい時代では演出になるのです。
これは興味深い変化だと思います。
ただし、太い線、高彩度の色、セル画という要素だけを取り出して真似しても、『さよならララ』と同じ魅力が生まれるわけではないでしょう。
本作では、ララの過去、大津茉里の生き方、琵琶湖という舞台、人魚姫という古典的モチーフ、そして何度でも人生へ向き合おうとする人物像が、映像表現とつながっています。
だからレトロな作画に理由が生まれます。
私はここが、この作品から他作品が学べる最大のポイントだと思います。
昔の見た目を借りるのではなく、その物語に昔の表現が必要かどうかを考える。
そこまで踏み込んで初めて、過去の技法は懐古ではなく新しい表現になります。
そして『さよならララ』は、「神作画」という言葉についても少し違った見方を与えてくれます。
作画のすごさは、必ずしもキャラクターが激しく動く場面だけに宿るものではありません。
キャラクターが静かに立っているだけで、その人物の強さが伝わる。
一枚の背景を見ただけで、作品固有の空気を感じる。
色、線、美術、撮影が一つの思想のもとでそろっている。
そうした画面作りも、アニメーション作品を成立させる重要な技術です。
特に『さよならララ』で私が惹かれるのは、過去と現在の扱い方です。
ララは過去を消して現代人になるわけではありません。
一度失敗した記憶も、昔の自分も抱えたまま、新しい時代でもう一度生きようとします。
作品の映像も同じように見えます。
セルアニメ時代の表現を「古いから不要」と切り捨てるのではなく、現代のデジタル技術の中へ持ち込み、違う形で生かしています。
過去を捨てることで新しくなるのではなく、過去を抱えたまま新しいものへ変わっていく。
私は、この構造がララの人生と映像表現の両方に流れていることに、本作ならではの美しさを感じます。
もし『さよならララ』のような作品が今後のアニメ制作へ影響を与えるとすれば、「90年代風作品が増える」という単純な形ではないでしょう。
作品ごとに必要な質感を考え、そのためなら過去の技術も現在の技術も自由に選ぶ。
そんな制作姿勢が広がっていくことの方が、ずっと面白い変化だと思います。
まとめ|『さよならララ』の作画は90年代アニメの単純な再現ではない
『さよならララ』の作画が90年代以前のアニメを思わせる大きな理由は、太く存在感のある輪郭線、鮮やかな色彩、そしてオープニングの一部でセル画を取り入れた映像表現にあります。
しかし、小出卓史監督ら制作陣が目指したものをたどると、単純な懐古趣味だけで作られた作品ではないことが見えてきます。
キャラクターデザインは谷紫織さん。
美術監督の藤野真里さん、色彩設計の相澤里佳さん、撮影監督の出水田和人さんらが参加し、さらに深海や水の表現を支えるスタッフまで置かれています。
企画は2021年夏ごろから進められ、シリーズ構成の川原杏奈さんを交えた脚本会議は160回以上に及んだと紹介されています。
そうした長い制作過程を考えると、現在の90年代風ルックは流行に合わせて後から加えられた装飾ではなく、物語と映像を何度も往復しながら選ばれていった表現だと理解できます。
そして何より印象的なのは、ララ自身の物語と作画のあり方が重なって見えることです。
長い時間を越え、過去を抱えたまま現代でもう一度生きようとするララ。
過去のアニメーション表現を抱えながら、現代の技術で新しい映像を作ろうとする『さよならララ』。
私には、その二つが同じ方向を向いているように感じられます。
だからこそ、この作品の作画は「懐かしい」で終わりません。
昔を知っている人には懐かしく、昔を知らない人には新しく映る。
その両方を成立させていることこそ、『さよならララ』の90年代風作画が持つ最大の魅力ではないでしょうか。
よくある質問
『さよならララ』の作画は本当に90年代アニメを意識している?
完成した映像には1990年代以前のセルアニメを連想させる太い線や鮮やかな色が見られます。
ただし、小出卓史監督は単純な懐古趣味として昔のアニメを再現したというより、近年の細い線や薄い色とは異なる画面を追求した結果として、過去のアニメ表現に近い方向へ進んだ趣旨を語っています。
『さよならララ』では本当にセル画が使われている?
はい。制作に関する紹介では、オープニングアニメーションの一部で実際のセル画を用いたカットが制作されたことが明らかにされています。
ただし作品全編を昔と同じセル方式で制作しているという意味ではなく、現在のデジタル制作へ部分的にアナログ技法を取り入れている点が特徴です。
『さよならララ』のキャラクターデザインは誰?
キャラクターデザインを担当しているのは谷紫織さんです。
本作ではキャラクターの太い輪郭線だけでなく、美術、色彩、撮影、水や深海の表現まで含めて画面全体の方向性がそろえられており、谷さんのキャラクターデザインはその中心を担う要素の一つとなっています。
執筆:みらくる(アニメ・ドラマ考察ブロガー|感情言語化スペシャリスト)



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