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『リゼロ』のメィリィの一人称は「わたし」。「昨日の夜」とは、タイゲタで記憶喪失のスバルから自分の望みや“自分らしさ”に向き合うよう促され、翌朝その真意を確かめた夜を指します。
この夜の会話が重要なのは、単に「スバルがメィリィを怒らせたから」ではありません。
エルザを失った感情を整理できないメィリィが、自分らしく行動しようとした結果、最も慣れ親しんだ「殺す」という方法へ傾いてしまった。そこまで含めて初めて、「昨日の夜」と殺害未遂のつながりが見えてきます。
この記事では、Web小説版第六章46『メィリィ・ポートルート』と第六章56『これからの話』、テレビアニメ第4期「喪失編」の内容を軸に、メィリィの一人称、「昨日の夜」の具体的な会話、そしてなぜスバルを殺そうとしたのかを整理します。
※第6章およびアニメ4th season「喪失編」の重大なネタバレを含みます。
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要点を先にまとめると、次の3点です。
- メィリィ・ポートルートの基本的な一人称は「わたし」
- 「昨日の夜」とは、タイゲタでスバルと話し、自分の望みや“自分らしさ”に向き合うよう促された夜
- 殺害未遂は以前から準備していた裏切りではなく、エルザ喪失後の感情と、殺人を問題解決手段として身につけてしまった人生が重なった結果と考えられる
では、順番に見ていきましょう。
リゼロのメィリィの一人称は「わたし」で合っている?
結論から言えば、メィリィ・ポートルートの基本的な一人称は「わたし」です。
Web小説版第六章56『これからの話』でも、スバルと対峙したメィリィは、自分自身について話す際に「わたし」を使っています。
メィリィの話し方には、一人称以外にも分かりやすい特徴があります。
- 自分を「わたし」と呼ぶ
- スバルを「お兄さん」と呼ぶ
- エミリアを「お姉さん」と呼ぶ
- 「〜わあ」「〜よお」「〜かしらあ」など、語尾を柔らかく伸ばす
幼い少女らしい響きと、どこか相手をからかうような軽さ。
メィリィの声を聞いたとき、まず印象に残るのはこの独特の柔らかさではないでしょうか。
テレビアニメでメィリィを演じているのは鈴木絵理さんです。
2020年9月17日にMANTANWEBが公開した紹介でも、メィリィはアーラム村で魔獣ウルガルムを操った少女であり、エルザと共に雇われていた「魔獣使い」の暗殺者として紹介されています。
ここに、メィリィというキャラクターの大きな落差があります。
言葉だけなら、あどけない「わたし」。
けれど、その言葉を使う少女は、幼い頃から普通の家庭や社会とは大きく異なる環境を生き、魔獣を操り、暗殺を仕事としてきました。
私は、この声の柔らかさと人生の苛烈さが同居していることが、メィリィの台詞を忘れにくくしている理由の一つだと感じます。
一人称の「わたし」は特殊な言葉ではありません。
それなのに第6章では、この何気ない「わたし」が、「メィリィ自身は何を望んでいるのか」という問いと強く結び付いていきます。
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メィリィの「昨日の夜」とは?タイゲタで実際に何を話した?
「昨日の夜」とは、プレアデス監視塔の書庫・タイゲタでメィリィが答えを求めていたところ、記憶を失ったスバルと遭遇し、自分の望みや“自分らしさ”に向き合うよう促された夜です。
そして翌朝、メィリィはスバルに対して、昨夜言われたことをどの程度本気で受け取ればいいのか、その真意を確かめています。
ここが今回の記事で最も重要な部分です。
なお、ここで挙げる第六章46『メィリィ・ポートルート』、第六章56『これからの話』という番号はWeb小説版の章番号です。
書籍版やテレビアニメでは区切り方が異なるため、検索していて「話数が合わない」と感じた方は、この違いを押さえておくと分かりやすくなります。
では、「昨日の夜」に何が起きていたのでしょうか。
メィリィは夜のタイゲタを訪れます。
その時の彼女は、すでに自分の中にある感情を持て余していました。
エルザを失ったこと。
スバルたちと行動を共にしていること。
自分が何をしたいのか、自分でもはっきり分からないこと。
そんなメィリィが書庫で出会ったのが、召喚後の記憶を失っているスバルでした。
そこでスバルは、メィリィに対して、自分の中にある望みに耳を傾けること、自分自身が見えてきたならもっと自分らしく行動することを勧める方向の言葉を投げかけます。
さらに、たとえ本人が自分を見失ったとしても、自分が覚えている――そう受け取れる言葉まで届けています。
もちろんスバルは、その助言を「俺を殺せ」という意味で話したわけではありません。
しかしメィリィにとって、「自分らしく行動する」とは何なのか。
ここに問題がありました。
翌朝、メィリィはスバルへ、昨夜の話をどれほど真剣に受け止めればよいのかという意味の問いを返します。
この朝の確認まで含めて、「昨日の夜の話」は一続きになっています。
つまり、「昨日の夜」は秘密の約束や恋愛的な意味を持つ会話ではありません。
自分自身の感情に従ってみろと促されたメィリィが、「では、わたしらしく生きるとは何なのか」に直面した夜なのです。
そして、その答えを彼女は危険な方向へ出してしまいます。
なぜ「昨日の夜」からメィリィはスバル殺害へ向かった?
ここは誤解しやすいところです。
「スバルから自分らしくしろと言われた。だからスバルを殺そうとした」と一直線に因果関係を結ぶと、メィリィの感情を単純化しすぎてしまいます。
昨夜の会話は引き金の一つですが、殺意そのものをゼロから作ったわけではありません。
メィリィの中には、その前から整理できていない感情がありました。
その中心にいるのが、エルザ・グランヒルテです。
エルザとメィリィに血縁関係はありません。
それでも二人は暗殺の仕事で行動を共にし、メィリィにとってエルザは姉のように近い存在になっていました。
Web小説版第六章46でスバルがメィリィの『死者の書』に触れることで、メィリィがどのような環境で育ち、どのように現在の価値観を身につけていったのかが見えてきます。
『死者の書』は、亡くなった人物の人生や記憶へ接続する性質を持つ、プレアデス監視塔の特殊な書物です。
スバルはそれを通して、外側から眺めているだけでは知ることのできなかったメィリィの人生へ踏み込みます。
幼いメィリィは、一般的な人間社会とは遠い環境を生きていました。
魔獣と共に過ごし、「魔操の加護」を使いながら生き延び、その後は「母」と呼ぶ存在のもとで人間としての振る舞いや暗殺者としての生き方を身につけていきます。
そんな彼女の近くにいた人物がエルザでした。
メィリィにとってエルザは、単なる仕事仲間ではなかったのでしょう。
安心できる相手でもあり、憧れの対象でもあり、いつしか自分の生き方を形作る大きな存在にもなっていたと考えられます。
ところが、そのエルザはもういません。
その喪失を、メィリィはうまく言葉にできない。
悲しいのか。
腹が立つのか。
復讐したいのか。
寂しいのか。
第六章56でスバルに踏み込まれても、メィリィ自身が簡単には答えられないところが、とても重要です。
彼女は明確な復讐計画を立てて、長期間スバルを狙い続けていたわけではありません。
スバルが指摘する通り、以前から一行を始末するつもりなら、監視塔へ着く前のアウグリア砂丘にも機会はありました。
それでも行動していません。
つまり、監視塔へ来た後に気持ちが動いた。
そこで昨夜、スバルから「自分の望みに目を向けろ」「自分らしく行動してみろ」という方向の言葉を受けた。
しかし、メィリィが人生で身につけてきた“自分らしい問題解決”の中には、殺人が深く入り込んでいたのです。
悲しみを誰かに話す。
喪失を受け入れるまで待つ。
自分でも分からない感情を、分からないまま抱えておく。
そういった方法を十分に経験してこなかった少女にとって、「邪魔なものを排除する」「相手を殺す」という方法は、あまりにも身近でした。
だからこそ、スバルの言葉は彼女を救う答えとしてそのまま届かなかった。
私は、このすれ違いが「昨日の夜」の切なさだと思います。
「自分らしく生きていい」と言われても、これまで生き方を選ばせてもらえなかった人は、“自分らしさ”そのものが傷ついている。
メィリィの殺害未遂は、その問題を浮き彫りにする出来事だったのではないでしょうか。
「殺人は癖になる」とメィリィの「わたし」はどうつながる?
テレビアニメ4th season第76話のタイトルは「殺人は癖になる」。
この言葉は、メィリィの殺害未遂を理解するうえで非常に重要です。
ここでいう「癖」は、単に殺人を楽しむという意味だけで捉えない方が、メィリィの人生が見えやすくなります。
困った。
殺す。
邪魔された。
殺す。
どうすればいいか分からない。
それなら、これまで成功してきた方法を使う。
長い時間をかけて繰り返した行動は、やがて「選択肢の一つ」ではなく、考えるより先に手が伸びる方法になっていきます。
第六章56でスバルがたどり着くのも、メィリィの行動を単純な悪意だけで片付けるのではなく、殺人以外の解決方法を十分に教わっていないのではないかという見方でした。
そのためスバルがするべきなのは、一度「殺すな」と命じることだけではありません。
別の方法を知ってもらう必要があります。
話す。
立ち止まる。
誰かに助けてもらう。
感情に名前が付かないなら、すぐに答えを出さない。
メィリィに必要だったのは、そうした「殺さない選択肢」を持てる環境だったのでしょう。
ここで、一人称の「わたし」も別の意味を持ってきます。
アニメ第76話では、スバルの内側にメィリィを思わせる「わたし」の声が現れ、危険な方向へ背中を押すような存在として映ります。
スバル自身も、『死者の書』を読んだ影響によってメィリィが自分の内側に入り込み、その声が自分を誘導しているのではないかと疑います。
けれど、スバルはやがて考えを改めます。
『死者の書』を通して、本物のメィリィがどんな人生を送り、何を感じてきたのかを知ったからです。
都合よく殺人だけを勧め続ける存在を、そのまま「メィリィ本人」と決めつけるのはおかしい。
あの「わたし」は、メィリィの姿や言葉を借りて現れた、スバル自身の内側の危うさとして捉え直せるわけです。
これは「メィリィの一人称は何?」という素朴な疑問から、一歩深く楽しめるポイントです。
本物のメィリィも「わたし」。
スバルの内側に現れる声も「わたし」。
しかし、同じ一人称だからといって、同じ意思とは限りません。
記憶を失ったスバルが「自分は本当にナツキ・スバルなのか」と揺れる第6章で、一人称まで人物を確定する目印として機能しなくなる。
私はここに、第6章が繰り返し描く「自分とは何によって自分なのか」というテーマが表れているように感じます。

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メィリィは本当に裏切った?殺害未遂後にスバルが選んだこと
メィリィがスバルを殺そうとしたこと自体は事実です。
Web小説版第六章56では、スバルがメィリィの行動を先読みし、螺旋階段で襲われる直前に止める展開になります。
別の流れでは、スバルが実際にメィリィの行動によって高所から転落する事態も起きています。
そのため「メィリィは裏切ったの?」という疑問に、「何もしていない」と答えるのは正確ではありません。
ただし、最初から仲間のふりをして、一行全員を罠にはめようとしていた計画的な裏切りとは違います。
スバルは、砂丘でも自分たちを殺す機会はあったはずだと指摘します。
それでもメィリィは実行していない。
そこでスバルは、今回の殺意が以前から用意された計画ではなく、監視塔に到着した後、特に「昨日の夜」を経て具体化した衝動だと見抜いていきます。
そして、『死者の書』で知ったエルザとの関係まで踏み込みます。
自分でもよく分かっていない感情を言葉にされ、メィリィは動揺します。
ここからのスバルの選択が、私はとても印象的です。
自分を殺そうとした事実を否定しない。
危険な行動は止める。
しかし、メィリィそのものを「もう敵だから」と切り捨てることもしない。
エミリアも、その場に関わります。
メィリィからすれば、殺害未遂が知られた時点で、自分は処罰されたり、不要になった存在として排除されたりすると思っても不思議ではありません。
なぜなら、それに近い価値観の世界を生きてきたからです。
使えないなら切る。
敵なら排除する。
殺される前に殺す。
しかし、スバルとエミリアは違う方法を選びます。
私はこの場面を、単純に「メィリィが許された」と表現するより、悪い行動を止めながら、それでも関係を作り直す余地を残された場面だと受け取っています。
それまでのメィリィにとって、失敗や敵対の後にも関係を続けられるという発想そのものが、非常に遠いものだったのではないでしょうか。
だからこそ、昨日の夜の「自分らしく」という言葉だけでは足りなかった。
必要だったのは、これから別の“自分らしさ”を作っていける環境だったのです。
考察|「昨日」の生き方から「わたし」の生き方へ進めるのか
ここからは私自身の考察です。
メィリィの一人称が「わたし」であること自体は、特別珍しい設定ではありません。
それでも「昨日の夜」という言葉と並べると、この一人称がとても印象的に見えてきます。
メィリィは幼い頃から、自分の人生を自由に選べる環境で育ったとは言いにくい少女です。
魔獣たちの中で生き、その後は「母」と呼ぶ存在のもとで暗殺者としての価値観を身につけ、身近にいたエルザの影響も強く受けてきました。
誰かに教えられた生き方。
生き残るために身につけた方法。
近くにいる人を見て覚えた振る舞い。
それらはあっても、「わたしは本当はどうしたい?」と自分へ問いかける時間は、ほとんどなかったのではないかと感じます。
だからこそ、タイゲタで記憶を失ったスバルから「自分の望み」に目を向けるような言葉を渡されたことは、大きな出来事だったのでしょう。
ただ、それだけで人は変われません。
むしろ怖いのは、過去に身につけたものしか「自分らしさ」の候補を持っていないことです。
メィリィが「わたしらしく」と考えたとき、その手元には暗殺者として覚えた方法が残っている。
そこで殺害未遂が起きた。
しかし翌日、それをスバルたちに止められます。
この流れを考えると、Web小説版第六章56のタイトルが『これからの話』であることにも、私は不思議な余韻を感じます。
昨日までの生き方を繰り返すのか。
それとも、これから別のやり方を覚えるのか。
メィリィはその境界線に立たされています。
ここで大事なのは、エルザを忘れることが成長ではないということです。
エルザが大切だった気持ちは、大切なままでいい。
悲しいなら、すぐ整理できなくてもいい。
その感情を持ちながら、それでも「エルザならどうするか」だけでなく、「わたしはどうしたいか」を考えられるようになる。
個人的には、それこそがメィリィにとっての本当の変化ではないかと思っています。
一人称は「わたし」。
時間を示す言葉は「昨日」。
この二つを並べると、第6章におけるメィリィのテーマが驚くほど鮮明になります。
昨日まで誰かの生き方をなぞってきた「わたし」は、これから自分自身の答えを選べるのか。
「昨日の夜」は、メィリィがスバルを殺そうとする物語の始まりであると同時に、自分自身の生き方を初めて問われた夜でもあった。
私はそう考えると、あの何気ない問いかけがとても切なく聞こえます。
まとめ|メィリィの一人称と「昨日の夜」の答え
『リゼロ』のメィリィ・ポートルートの基本的な一人称は「わたし」です。
そして「昨日の夜」とは、プレアデス監視塔のタイゲタでメィリィが記憶喪失のスバルと出会い、自分の望みに耳を傾け、自分らしく行動するよう促された夜を指します。
翌朝、メィリィはスバルへ、昨夜の話をどれほど本気で受け止めればいいのか、その真意を確認しました。
その後の殺害未遂は、「スバルに殺せと言われたから」起きたわけではありません。
エルザを失った感情を整理できないこと。
自分自身の望みが分からないこと。
そして、問題が起きたときの手段として殺人を身につけてしまった過去。
そこへ「自分らしく行動してみろ」という昨夜の言葉が重なった結果、メィリィは自分が最もよく知る方法へ手を伸ばしてしまったと考えられます。
だからこそ、スバルが選んだのは単なる処罰ではありませんでした。
危険な行動は止める。
けれど、メィリィ本人まで切り捨てない。
エミリアとともに、彼女が別の選択肢を知る余地を残します。
「わたし」は、これから何を選ぶのか。
「昨日」までと同じ生き方を、明日も続けるのか。
メィリィの一人称と「昨日の夜」を掘り下げると、第6章で描かれている記憶、自己、喪失、そして自分自身の生き方を選び直す物語が見えてきます。
ただの「魔獣使い」でも、ただの「裏切り者」でもない。
エルザを大切に思ったまま、それでもいつか「わたし自身はどうしたいのか」を選べるようになるのか。
そこに、メィリィ・ポートルートという少女を追い続けたくなる魅力があるのだと思います。
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よくある質問
リゼロのメィリィの一人称は何ですか?
基本的に「わたし」です。
Web小説版第六章56『これからの話』でも、自分自身について話す際に「わたし」を使用しています。
スバルを「お兄さん」と呼ぶことや、「〜わあ」「〜よお」と柔らかく語尾を伸ばす話し方もメィリィの特徴です。
メィリィの「昨日の夜」とは何があった夜ですか?
プレアデス監視塔の書庫タイゲタで、メィリィが記憶を失ったスバルと話した夜です。
メィリィは答えを求めて書庫を訪れ、スバルから自分の望みに耳を傾け、自分が見えてきたなら自分らしく行動するよう促されます。
翌朝、メィリィはその話をどれほど本気で受け取ればよいのかスバルへ確認しました。
この一連の出来事が「昨日の夜の話」です。
メィリィはなぜスバルを殺そうとしたのですか?
以前から一行を全滅させようと計画していたからではありません。
エルザを失った後の感情をうまく処理できず、自分が本当はどうしたいのかも分からない中で、昨夜スバルから自分自身の望みや“自分らしさ”に向き合うよう促されました。
しかしメィリィは、問題を解決する方法として殺人を深く身につけていました。
そのため、自分の感情に従おうとした結果、慣れ親しんだ殺害という手段へ突発的に向かってしまった――というのが、第6章の流れから読み取れる重要なポイントです。
作品の余韻を丁寧にすくい上げ、心震える瞬間をあなたと共に味わい尽くす。
みらくる
アニメ・ドラマ考察ブロガー|感情言語化スペシャリスト



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